挫折からのメダリスト後編

 私は現在62歳過去はあまり振り返りたくないが時代の流れを少しずつ感じ理解出来るようになったかな?ただ62年間生てこられたからだけの事なんですがね。(笑笑)当たり前のことだが、経験というものはお金では買えないいろんな壁にぶち当たった分だけ懐の大きな人になれるのだろう。人との和も広がって豊かな人生を送ることができると思う。今の若人を見ていると一昔前の、苦労は買ってでもしなさい、と言う言葉が辞書にないみたいだ。良い時代なのか私にはわかりませんが一度しかない人生がもったいない楽しみなさいと言いたいね。仕事だけの人生でなく+アルファーを持ってほしい。私の周りを見ていると定年になりやる事がないから働いている人が意外と多いそれもそれぞれの人生だから。。。私の言っていることがすべて正しいわけでもないし。。。ついつい老婆心が出てしまうのでこの辺で話題を変えます。                              日本は島国のため30数年前は外国人は本当にめずらしかつた。昨年の秋に数十年ぶりに尾瀬ハイキングに行ってきました。尾瀬の自然は昔のままの青い空と空気が私達を迎えてくれました。違っていたのは訪れるはハイカーでした,以前はほぼ100%日本人でしたが、今は日本人が40%くらいで他は皆外国人でした。知る人ぞ知る国際的な観光地になっていました。妻も怪我をして以来4年ぶりの山歩きでした。

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尾瀬の空

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山の鼻にて

 

脱線してしまいましたが。

前島監督との二人三脚でカルガリー五輪でのメダル取りメンタル面を鍛える一つとして外国人コンプレックス?解消。堂々と外国で自分で渡り合えるようになる事。今では当たり前だが当時選手が海外遠征を一人で行くことはまれで監督さんたちが段取りをしてくれていた。 黒岩選手は一人で飛行機や宿の手配などをやり自分自身を厳しい状況に置いて大きく成長したのではないでしょうか。       カルガリー五輪の500mは4組のアウトコーススタートはサラエボと同じ4組のアウトコーススタートだった。神様のいたずらか?(当時500mは現在みたいにアウト、イン、の2回滑走ではなく、抽選で1回しか滑れない、アウトコーススタートは不利とされていた)後の話でメンタルトレーニングで最悪条件の雪で、4組のアウトコーススタートもイメージしていたそうです。抽選で4組のアウトコーススタートが決まった時に心の準備はしっかりとできていたと思います。結果は自己ベストの36秒77、銅メダルを取りました。準備期間の4年間は36秒前後の戦いのために34500時間をかけていた。長いようでほんの短い4年間だったんだろうなー。黒岩選手の名言が残されています。「五輪には魔物が住んでいるという。でも魔物をつくってしまうのは自分なのです。作らなくてもいい魔物を心の中に作ってしまう。」 魔物との戦いを制するにはスタートラインに立つまでの努力の過程がきっと大切なんですね。きついトレーニングも悔いのない花を咲かせようと充実した4年間だったのでしょう。夢を足跡をありがとう(パチパチパチ~拍手~~~)

その後の黒岩選手は西武ライオンズ球団代表、松坂…いろいろありました。

富士急行スケート部監督、ソチオリンピックコーチ

未来に向け想像の翼を休むことなく広げて何人分もの人生を謳歌しているのだろうか。 人々に夢を、がテーマになるのでしょうか。ありがとうございました。

次期冬季オリンピック 2018年韓国ピョンチャン

日本代表ショートトラックヘッドコーチ  ジョナサン・ギルメット(カナダ)。。。金メダリスト

頑張れ日本選手(まだ先のことだけど)みんなで応援しましょう。

2017年3月23日現在、教え子の坂爪亮介も2度目のオリンピックで完全燃焼するために日本から離れ一人韓国で生活をしながら武者修行しています。

 

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